そして世界はぐるりとまわる

過去だったり未来だったりいまだったり

君がために僕が泣く

東日本大震災の話題が多い1週間となりました。

当時、私は北海道で食品の通信販売を担当しており、

北海道は一部で津波被害があったのですが

札幌は大きな被害が無かったのを記憶しています。

自分の仕事が慌ただしくなったのはこの日の夕方以降。

 

広い地域で停電が発生し、

運送会社はクール便の荷物の品質が保証できないとのことで

早々に返品の手続きを開始する通達が出されました。

ですが被災地、荷物はいつ戻せるかわからない、と。

そんな中、お客様から荷物は届くのかとの確認の電話の他に

荷物が届いた、とのお礼の電話も入り始めていました。

「ありがとう、これで数日は食べ物がある」と。

ただ運送会社側の方針は返品。

配達をされたのは、車の冷蔵機能が持つ間に

なんとか配達をしようと判断してくれた

営業所及びドライバーの判断によるものです。

なので私たちはお礼のお電話にお願いを添えました。

 

お礼はどうか運送会社の本社の方へ。

営業所はこの地震の騒ぎで電話対応は難しいはず。

配達されたのはドライバーさんの、配達店のご好意です。

どうかお礼は、運送会社の本社へ。

 

その後、宅配便の荷受けは全国的に一時停止され、

北海道から荷物は発送できなくなりました。

私たちが発送した荷物は被災当日の到着便の一部のみ

お客様のもとへ届いたことになります。

それ以降の荷物は・・・・。

私たちが発送した荷物は運送会社の努力で追跡され、

配達できなかったものは返品処理がなされました。

ただ一つの、荷物を除いては。

 

しばらくして、運送会社の方より

ただひとつ、見つからなかった荷物について

お詫びの連絡がありました。

荷物そのものが行方不明。

ただ、おそらくは三陸の海沿いを走っていた

貨物列車に乗っていた荷物の一つだろうと。

そしてその貨物列車はおそらく津波に流されたのだろう、

その列車も見つかっていないということ。

震災からしばらくしてもたらされたこの情報に、

私は泣いてしまい、

これが自分にとってこの震災の一番身近な記憶となりました。

 

東日本大震災にて亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。